案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年2月12日日曜日

栃尾線 上見附駅のED51

オリンパスペンSで撮った栃尾線、次は上見附駅のED51です。

栃尾から戻って来たED51の混合列車は上見附でスイッチバックする。ED51が何やらゴソゴソ動き回って長岡へ向かって行ったが、何をしていたのか写真をつなげてみると編成の組換え作業が分かった。軽便でこんな立派な電機は見た事がなく、廃線後直ぐにスクラップにされてしまった名機がほんとうに惜しい。


スイツチバック駅上見附でED51の入替え作業が始まる.    1964.3.22 画像クリックで拡大


留置線にあった客車を引き出して入替え作業中のED51
終点栃尾からやって来た元草軽の古典客車や木材を積んだ貨車の編成に
これから2両をドッキングする.ちっぽけな客車にはかなり客が乗って発車を待っている.

ED51が牽く編成が出来上がると長岡方面へ発車して行った.


上見附駅の貨物ホーム
上見附駅と周辺の建物がやたら古ぼけて異様な感じがしたものだった.
東京オリンピックの昭和39年、まだこんな風景は日本の至るところにあったのでしょう。
その貨物駅の向こう見えるカマボコ屋根の奇妙な客車に惹かれた.
カマボコ客車を次回アップします。

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

前から思っていたのですが、栃尾線は所謂「味噌汁軽便」を越えていましたね。ヨーロッパのスケール大きなナローラインのようです。このELなど赤く塗ったらスイスあたりに似合いそう。

katsu さんのコメント...

そうですね。味噌汁軽便とは対称的でした。
総括制御の編成に組込まれた元客車のサハ化改造、元客車の電車化改造など、まさに模型を地で行く感じでした。栃尾線は本格軽便ならではの面白さであったと思います。

toshi さんのコメント...

katsuさん、初めまして。

こちらのブログはいつも楽しく興味深く拝見させて頂いています。

元来鉄道には全く興味が無かったのですが、最近亡くなった母が生前、実家の近くを軽便が走っていたと言っていたのを思い出し色々調べていてこちらのブログにたどり着きました。それがこの栃尾線です。

考えてみるとやはり亡くなった叔母の嫁ぎ先にも軽便が走っていました。それが駿遠線です。偶然にも2大軽便に縁が有ったとは。

前のページに有る加津保駅が実家の近くです。どちらも乗ったことも見たこともないのでこうして写真を見せていただくと何か感慨深い物が有ります。

今後も色々な写真を拝見挿せていただくのを楽しみにしております。

katsu さんのコメント...

toshiさん、初めまして。
嬉しいコメントをありがとうございました。
母上や叔母さんにとって、やはり故郷の軽便は格別の思い出があったのでしょう。
父母から軽便の思い出話を聞いた方からその風景について他にもメールを戴くことがよくあります。私のような軽便ファンにとってはとても嬉しいお話で励みになります。
今後ともどうか宜しくお願いいたします。

ところで、大変申し訳ありません。写真は加津保駅の隣の椿沢駅のようです。
改めて加津保駅をアップさせて頂きます。

yoshiharu kato さんのコメント...

よくぞこんな画像をアップしていただいてありがとうございます

駅名検索すると駅舎画像が出てくることに気づいて、故郷の駅名を検索してたどり着きました

上見附駅の待合所まえにあったオレンジジュース販売機(キンギョ鉢の載ったやつ)でジュースを飲んだ(たしか30円だった)のを思い出しました

katsu さんのコメント...

yoshiharu katoさん
コメントありがとうございました。

ブログで改めて上見附駅を見てみましたが、
数年前に自分でアップしたのにすっかり忘れていて読み返すと他人の記事のようでした(笑)

上見附駅の自動販売機の思い出とは相当昔の事ですね。
写真を撮ってから何年も経つと凄い風景に見えるもので、東京の渋谷、新宿でもこの時代は混沌とした風景だったと思います。
この頃は地方ばかり撮って地元東京は殆ど撮らなかったのが残念です。