案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年12月30日金曜日

京福電鉄 叡山線

京福電鉄福井支社に対し、京都の京福電鉄叡山線ではこの頃、元阪神小型車がパンタをポールに付替えて大量に入線していた.元阪神の細面がひときわ魅力的であった。

修学院の車庫 1969.1.2
1964(昭39)年~元阪神小型車831形を譲り受け京福デオ500形として10両が在籍し
修学院車庫では元阪神を6両確認できた.

2011年12月28日水曜日

京福電鉄 福井~福井口3

京福電鉄福井支社には個性豊かな電動貨車や機関車がいて楽しませてくれた。
金津に居たテキ20、東古市に居たテキ6など、1台ごとに形状が違うようで、
これらと福井~福井口にいた同類、そして機関車を並べてみました。

   東古市にいたテキ6   1968.1.14 

金津にいたテキ20.前歴は不明   1968.1.15

これらの電動貨車は京都電燈時代に梅鉢鉄工場で1920年にテキ6形テキ6~テキ11の6両を製造し、後に木造車体に鉄板を貼付た四輪単車となった。新福井駅に隣接した車庫の火災で3両が廃車となり残ったテキ6、7と9は制御器の違いからテキ6形6と、テキ7形7、9に形式が分かれた。
テキ6形はえちぜん鉄道の名物ML6形6となり勝山駅に保存されている。
  (引用: 里山工房さまの京福電鉄福井支社10 テキ6、20)

テキ7  福井-福井口 1968.1.14

テキ9  福井-福井口

テキ501  元庄川水力電気専用鉄道  福井-福井口

テキ512      福井口
元国鉄アプト式EC40形で 片側のボンネットを改造してデッキ付に.

2011年12月26日月曜日

京福電鉄 福井~福井口2

1968(昭43)年当時の京福電鉄福井支社の路線は下図の通りで、この直後に丸岡線、永平寺線(金津~東古市)が廃止となり、更に昭和49年に勝山~京福大野が廃止、平成14年に永平寺線が全廃となっている。

当時の福井~福井口間では京都電燈(後の越前本線)や三国芦原電鉄(後の三国芦原線)からのオリジナル車や東急、相模、、京王、阪神からの転入車など種々雑多な電車が活躍していた。



ホデハ11    福井口 1968.1.14


ホデハ13    福井口


ホデハ12 行先板には福井-京福大野の表示が    福井

いかにも京福電鉄らしいこれら2ケタのホデハ11形は三国芦原電鉄からのオリジナル車で、
1928年日本車両製。当時の私鉄向け標準車として製造され永平寺線のデハ102形104形と
同型のようである。この楕円戸袋窓付の標準タイプは上田、琴平、一畑などでも見られた。



三国線のトレーラ ホサハ17.  元永平寺鉄道デハ103の電装解除車.  福井


三国芦原線のホデハ1001形  福井
名鉄3800形をモデルに自社発注した新製車.


個性的なモハ271形    福井口
元相模鉄道1004~1006でその元は何と小田急1100形.
オリジナルとは随分イメージが変わってしまったものだ.


三国芦原線 ホデハ301形(元東急デハ3250形)     福井口

2011年12月24日土曜日

京福電鉄 福井~福井口1

京福電鉄の福井~福井口間は越前本線と三国芦原線が合流しさまざまな前歴の車両がやってきた。

京福電鉄福井支社の前を走るモハ251形(車体新造車)  福井-福井口 1968.1.14
堂々たる地方私鉄を感じさせた.

ホデハ221形(京都電燈からの引継車)    福井
福井駅には種々雑多な車両が留置されていた.

越前本線の勝山行 ホデハ231形(京都電燈からの引継車)    福井-福井口

三国芦原線 ホデハ301形303(元東急デハ3250形)   福井

三国芦原線のトレーラ、 ホサハ17 (永平寺鉄道からの引継車)   福井


2011年12月22日木曜日

京福電鉄 元京王の電車

庄内交通で活躍した元京王の中型車2400型は、京福電鉄福井支社にも3両(2402、2404、2408)が譲渡され、京福電鉄福井のバラエティに富んだ電車の中に溶け込んでいた。
 
三国線を行くホクハ32(元阪神861形)+モハ262(元京王2400形)  福井口 1968.1.14

ホクハ32(元阪神861形)+モハ262(元京王2400形)  福井口-福井
元阪神はTR14に台車を履き換えている.

京福大野行のモハ263(元京王2400形)   福井口-福井
勝山から先 京福大野まで走っていた時代.

2011年12月20日火曜日

羽鶴の1080が走った日2

羽鶴に1080が走った4月初めの春うららかな日、沿線で三脚を構えSL撮影を終日楽しんだ。
この日は羽鶴専用線を1080が牽く貨物列車が何回か往復したようで、
架線も無くのどかな丘陵地帯を走る光景はとても魅力的であった。

日鉄鉱業羽鶴専用線の1080    撮影 1973.4.8









2011年12月17日土曜日

羽鶴の1080が走った日1

1973(昭和48)年、団塊世代は社会人へ、音楽やフッションなど70年代若者文化が大きく変化、給料で買えるようになったマイカー、そこへ国鉄SLブームの到来。マイカーに彼女を乗せ葛生の奥地にある羽鶴までやってきて沿線でSLを待つほほえましい光景も珍しくない時代になった。
地方私鉄ファンの私にとって国鉄SLブームはあまり縁がなく、三脚やカメラ・アルミケースなどを車に積んでドッとやってくるSLファンの光景を見たのは羽鶴が初めて、いや~驚いた。
60年代は沿線を歩いていてめったに同業者に会うこともなかったが、70年代の国鉄SL撮影名所ではこの羽鶴を遥かにこえる三脚・カメラの乱立だったのでしょう。


日鉄鉱業羽鶴専用線の1080    撮影 1973.4.8



各地から葛生の奥の羽鶴まで車でやってきたSLファン


同行した鉄仲間の若き姿も何人か見える





2011年12月16日金曜日

庄内交通 元京王の電車

 善法寺の田舎電車 で湯野浜線を取上げましたが、そこで活躍していたのはモハ8(元京王電鉄)や古老モハ7(元京王電気軌道)でした。

モハ8は1963(昭38)年8月の京王線昇圧化600→1500Vを迎え、 最後の活躍をしていたあの京王線中型車2400形。そしてモハ7はずっと古く元京王電気軌道からの移籍してきた。
京王線で5連で突っ走っていた2400形は、湯野浜線へ来てのんびり単行で松林の中を走っていた。
またモハ8+モハ7の元京王同士で手を組んで走ることもあった。
どちらも中小私鉄にほど良い全長で、地方路線によく溶け込んでいた。

撮影 1966.2.28
国鉄鶴岡駅の隅に湯野浜♨温泉ゆきを掲げたホームがあり
ここから湯野浜温泉行きの電車が発着していた. モハ8+モハ7

日本海が近い松林を行くモハ8(元京王デハ2400形2405)


善宝寺駅に到着するモハ7


 善宝寺駅の交換風景


モハ7


そしてこんな電車も デハ103(元東急デハ3200形)

2011年12月14日水曜日

東武矢板線 矢板駅

車窓から見た東武鬼怒川線 新高徳駅 で東武矢板線(元下野鉄道)の光景を想像してみましたが、
1959年に消えたこの矢板線は新高徳~矢板間をピーコックが走っていたことでよく知られています。
矢板線廃線跡がKumaさんの廃線レポート ピーコックの里 に詳しく纏められています。

今回は矢板駅を東北本線の車窓から見て、そこにピーコックが牽く混合列車を想像してみました。
当時の素晴らしい編成の写真は学生時代に鉄仲間と宮澤孝一氏のお宅を訪問した時に頂戴したもので、使用を了解戴きました。


車窓から見る東北本線矢板駅  2011.12.10
50年以上も昔に消えた矢板線矢板駅は、東北本線と並行する左の道路辺りにあった.
そしてその時の光景が↓

東武矢板線矢板駅の素晴らしき光景   撮影 宮澤孝一氏
元国鉄のピーコック5500系と電車崩れの客車を挟んだ混合列車が堪らない.
子供の頃 鉄道模型趣味誌に廃止直前が紹介され憧れた編成であった.
ホームの向こうには東北本線の蒸機が見える.

2011年12月13日火曜日

津軽鉄道 津軽五所川原駅2

国鉄五能線五所川原から出ている津軽鉄道は、津軽半島の中ほどにある津軽中里まで今でも走っている。今や冬の東北観光コースの中に「ストーブ列車乗車」のメニューが組み込まれ、有名になったものである。観光化とはいえ今の津軽鉄道の車両には変な細工がないのが嬉しい。

撮影 1966.3.3
後部に客車を2両連結された混合列車が岩木山を背に五所川原を出発する。 津軽五所川原 - 十川

気動車に牽かれて走る改装後真新しい元西武車.  津軽五所川原 - 十川
西武のクハ1151形3両が客車化され津軽に譲渡されたのは1965年7月.
その翌年に見たこの元西武車の客車がとても奇麗であったのが印象的。

津軽五所川原に向かって戻ってくる混合列車。  十川 - 一野坪
後部に連結された客車代用のキハ2400形

津軽鉄道の近くを走る五能線86が牽く混合列車.  五所川原 - 木造

 
元三岐鉄道から3両譲り受けたキハ2400形

 
1983年までストーブ列車として使用された元国鉄オハ31系


津軽で生き延びた元西武1151系改装の客車


当時は最新であったキハ24000形(24021 - 24024)も今や消えた過去の車両となってしまった.