案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年10月5日水曜日

東洋活性白土の秋

1962年に北陸本線で糸魚川を通過した時、国鉄沿いに見えた細い線路が何なのか当時は全く判らなかった。その後、東洋活性白土の存在を知って、初めて糸魚川の2フィートの光景を見たのは1965年夏の北陸本線の車窓からであった。
そして1970年秋に初めて東洋活性白土の工場を訪問し夢のような世界を楽しんだ。工場の製品を出荷するため工場から国鉄積替え駅まで、僅か1Kmたらずを往復する小さな機関車とトロッコはまるで模型のようであった。
北陸本線の車窓から初めて見た2フィーターの光景. 1965年夏


国鉄の貨車と並んだ2フィートゲージの楽しい光景. 1970.11.2


トロッコに積まれた製品を国鉄貨車に積み替える.

秋の陽を浴びて、か細い2フィート狭軌を国鉄積替え駅へ向かう蒸機列車.
協三工業製6トン機と製品出荷の準備ができたトロッコ. 東洋活性白土工場内

2 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

小さかった!軽トラを短くしたような
感じでした。キャブの中に一斗缶に
入った石炭があってこれで動かすと
言われた。シャベルも炭用の小さな
物。小さくても意外にパワーがあった。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
キャブの中はそんなでしたか。
本当に小さな蒸機でしたね。
何もかもミニな工場専用線は工場の搬送量から見ればこれで丁度良かったのでしょう。
積替えの不効率よりも2フィーターによる構内搬送のメリットを活かして設置された専用線と思われます。わざわざ蒸機を使ったのが興味深いですね。