案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月3日木曜日

竜ヶ崎駅

昭和37年に訪問した竜ヶ崎線を昨年5月3日「東京近郊の小私鉄」でアップしましたが、終点竜ヶ崎の駅をさらに詳しくアップしてみました。

竜ヶ崎の駅前や駅本屋の内部を撮ってあれば、この時代を表わす楽しい光景であったが、残念ながら写っているのは車両ばかり。車両は次回とし、駅構内と施設を並べてみると構内の奥に拡がる光景は、一体どんなだったのだろうか。

竜ヶ崎駅の全体。右手に線路が延び機関庫などがある。1962年3月

ホームで遊ぶ子供たち。   再アップ画像


4号機が休む機関区


模型で作りたくなるような、こじんまりとした機関区。


給炭所、機関区の先に倉庫があり2本の線路はさらに先へ延びる。


片ボギーの客車などが休んでいた側線。


線路の先は民家の間で行き止まり。そこに古典客車が。


下のラベル↓の鉄道名をクリックして頂くと、アーカイブが鉄道名で繋がります。

8 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

民家の庭先に古典客車、というより、線路際に民家が異常接近っていうことでしょうか?

こういうのは電化非電化関係なく痺れます。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
それでは、生活感溢れる民家の接近をもう1枚アップしてみました。

猫が好き♪ さんのコメント...

 おおー。4枚目ですか、のコンクリート製の水タンク、おれも見ました。すごいもんが残ってるなーと思ったのですが、2005年に再訪したときに詰所もろとも取り壊されておりました。残念ですけど、まあ、使いみちなかったんだろうししょうがないわなー、みたいな。

モンブラン さんのコメント...

「ホームで遊ぶ子供たち」を見ました。彼女達も今は還暦近い年齢になっていることでしょうねえ。3月撮影ということですので、まだ肌寒く厚めのタイツを皆が穿いていますね。そういえば我が家の姉も当時、あれを穿いていたなあと妙なことが頭に浮かびました。貴重な画像ありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

平成13年の訪問時に貴兄を誘ったのですがちょうど入院されたときでしたのでT君との2人でした。このときは機関区の詰め所は取り壊されて、コンクリートの給水塔のみが残されていました。今はもうないのか…。住宅に囲まれた周辺は今は魅力に乏しくなりましたね。

katsu さんのコメント...

猫が好きさんの施設観察は、その後のフォローが凄いですね。蒸機がいなくなってあの機関区の跡がその後も永く残っていたのですか、見ておけば良かった。

鹿島鉄道その後についても、猫好きさんの観察には驚きました。私は廃線直後の代替バスに乗ったのですが、便利な鉄道に較べ代替バスはガラガラで悲惨でした。それが今はこんなことになったのですか。鹿島鉄道には考えさせられます。

katsu さんのコメント...

モンブランさん
ご想像通りで、竜ヶ崎の子供達は今や還暦ですね。ブログ1960年代の写真に写っている子供達は、みな50超~60歳前後になっています。
私も当時の子供達を写真で見ると常にそんな歳のことを考えてしまいます。厚めのタイツでその時代と季節を感じて頂ければ嬉しいですね。それが鉄道写真です。

katsu さんのコメント...

青蛙さん、10年前あの時は竜ヶ崎に寄ったのでしたか。是非写真を見せて下さい。昔の面影は給水塔ぐらいだったのでしょうね。更に10年経って様変わりですか。
今を見に行かねば。