案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年11月30日火曜日

福島交通 飯坂温泉行きの電車

ひなびた軌道線の湯野町駅から飯坂温泉に向かうと、街中には立派な温泉ホテルが多く、その中にある飯坂温泉駅はそれまでの軌道線とは違って別世界であった。飯坂温泉駅には乗客も多く駅も電車も奇麗で立派な電鉄であった。
規模が大きい有名温泉地のせいか、街もアカ抜けし鉄道に並走する道路も舗装され泥だらけのよう光景はここにはなかった。最新型の連節式電車などがバンバン走っていて、余りにもアカ抜けしていたため、訪問したことが全く記憶に残っていない鉄道であった。おかげで飯坂温泉から福島へ向かう途中に撮影した場所も不明で、marimoさんに調べてもらいやっと確定しました。marimoさんありがとうございました。


温泉客で賑わう飯坂温泉駅。 S38年新製のデハ5012-5013  1966.12.31


道路と並走し飯坂温泉に向かう電車。この年に新製したモハ5114

擦上川の鉄橋


曽根田の車庫風景。 モハ1209と1208 右はモハ1211     

モハ1209と1208 幅狭窓の15m車 曽根田

モハ1202 1955年日車製広窓の15m車     曽根田


モハ1205と1204 1948年手塚製作所製の12m車。  曽根田


2010年11月29日月曜日

福島交通軌道線 湯野町

福島駅前~長岡分岐点~湯野町13.2kmが飯坂東線で、長岡分岐点をでると西へ向かい、東北本線をオーバークロスして湯野町まで走っていた。
福島から一直線の延びる飯坂温泉行きの立派な鉄道線と違って、湯野町の温泉行きの路面電車はその駅名からしてひなびたムードを感じてしまう。路線も長岡、伊達でややこしく分岐して湯野町に向っているところが何とも言えない魅力を感じたものだ。

終点湯野町は川を渡れば、すぐに飯坂温泉だが、川の手前側に湯野温泉があるせいか飯坂温泉の駅名ではなかった。川をはさんで「飯坂温泉」と「湯野町」と二つの駅が存在していた。





湯野町 - 明神町        1966.12.31
畑の中を一直線に進み湯野町に到着する。

福島交通軌道線の終着駅湯野町

湯野町の駅前
「湯野町」と「飯坂温泉」の駅は離れていて、温泉街を流れる川の橋を渡ると
直ぐに福島交通鉄道線の「飯坂温泉」駅があった。

福島交通鉄道線の飯坂温泉駅

2010年11月27日土曜日

福島交通軌道線 保原

長岡分岐点から東に4.6Kmのところに保原がある。
この保原駅の先で軌道は南北に分岐し、掛田と梁川へと向かう。
保原は貨物側線もある大きな駅で沢山の客で賑わっていた。



掛田・梁川←  保原駅の貨物側線側ホームが掛田or梁川ゆきのりば。 →福島    1966.12.31

保原駅の貨物側線側ホームの梁川行き。 ↘ 掛田・梁川

掛田・梁川←  保原駅の道路側の福島行き。 ↘ 福島
大晦日のせいか保原の街も道路を歩く人が多い。


貨物の側線が一本。


ホワ10。貨車はどれも軽便並以下の小さな車体に、3'6''軌間台車がアンパランスで面白い。

福島交通軌道線 梁川

福島交通のネガカラー(初めて撮ったカラー)数コマと、1枚の福島交通路線図の湿式コピーが見つかったのを機に、前回4月25日~アップ済みの長岡分岐点他を更にアップしてみます。過去のアップ画像を再調整し再アップしているものもあります。

保原~梁川間の梁川線。

福島交通軌道線路線図

レールは泥に埋もれ、その上にボンネットバス、いすゞベレット等が並ぶ昭和41年の風景。
梁川線終着駅 梁川 1966.12.31

梁川駅

駅の奥にはこんな風景が。ホワ13 梁川

梁川駅。 どこでもよく見られたキャブオーバ型バスが待つ駅前風景。
駅の入口には、ジオラマで定番となったポストと公衆電話BOXが。

2010年11月26日金曜日

蒲原鉄道 畑の中の高松


村松行きの電車の先に高松の駅が見える。 1968.8.17
土倉を更に行くと、右手にカーブした先の畑の中にポツンと小さな駅(停留場)高松があった。
駅前には大粒のブドウがびっしりと垂れ下がったブドウ棚があるだけで人家は全く見あたらない。
日記に書かれたメモによればこの辺に温泉があったようで、調べたら鉄道が見える温泉金割鉱泉の楽しい記事があった。

夕陽を浴びて加茂行が高松駅に到着する。
高松で撮影を切り上げ小さな駅で加茂行き電車を待つ。
電車の時間が近づくにつれ、いつの間にか乗客が何人も集まってきた。大きな鞄を持って都会的な服装をした女性数人はきっとお盆で帰省していて都会へ戻るのだろう、畑の中の停留場が一瞬華やいだ。
こうして夏のお盆が終わる夕方、加茂へ向かう電車の中はお盆明けの客で満員であった。

越後交通栃尾線 夜の長岡駅 1968.8.17
加茂から長岡に出て一泊。栃尾線を確認してみるとこの時はまだブドウ色の時代であった。

2010年11月25日木曜日

蒲原鉄道 冬鳥越

五泉(手前)から村松(前方の町並)まではこのような田園地帯を走るが、村松から先は起伏のある地形に一変する。加茂行き電車は村松を発車すると、遠く栗が岳?の美しい山並みを背景に丘陵地帯の連続勾配を登って行く。

それまでの平地と異なって丘陵が迫り、寺田~大蒲原~高松あたりの風景が素晴らしかった。
さらにその先にある「冬鳥越」の駅名とトンネルに惹かれて冬鳥越に降りてみたが、駅周辺はスキー場やゴルフ場がある箱庭的な観光施設でがっかり。ここから歩いて五泉方面へ引き返してみた。
冬鳥越の駅を出た五泉方面行き電車が手前のトンネルに入る。      1968.8.17
冬鳥越のトンネルを越え五泉側に出ると、木立の下に小さな無人駅土倉が見え絶好の撮影ポイントであった。やって来たのは貨車1両を従えたモハ31で、かなりの上り勾配なのかノッソリ-ノッソリ近づいてきた。
土倉駅を出た加茂行きの電車

土倉 - 高松
全くひと気のない自然溢れる沿線風景であった。
土倉 -高松

2010年11月24日水曜日

蒲原鉄道 村松駅の昼下がり

左の貨物線に休むモハ31。 右の五泉方面行きホームにはモハ71が。
真夏の昼下り、のどかな時間が過ぎる。   1968.8.17


発車間近い五泉行きの電車。

モハ31とモハ61が並ぶ。


モハ41?が休む車庫の佇まい。


村松駅の片隅にあった廃車体の倉庫。
蒲原鉄道が開通した大正12年に、蒲田車両で製造されたデ1とデ2。


廃車体デ1、2の台車ブリル76E-1は、
他の車両に転用され、しっかり生きていた。

2010年11月23日火曜日

蒲原鉄道 村松駅の車両

五泉を発車した電車は8分ほどで村松に到着した。
ほとんどの乗客はここで下車し、ここから先は加茂行に乗り換える。
加茂方面行のホームには電車が一向に到着せず、この間五泉行きが数回往復していた。
やっとやってきたのは、正面2枚窓3扉車のモハ41であった。

村松には車庫があり様々な旧型車が留置されていて、待ち時間を楽しむことができた。
元西武モハ61、71と、正面2枚窓のモハ31、41が主力で稼働しているようで、他の旧型車は留置線で休んでいた。

五泉~村松間を往復するモハ71が村松駅に到着する。 1968.8.17

村松~加茂間を往復していたモハ41。  ここから先、加茂行きは本数が半減しかなり待たされた。

蒲原鉄道の最古参、木造電車モハ21(元名古屋鉄道モ455)

モハ11と  クハ10。  モハ11、12、51が揃っていた。
モハ11、12の美しい東洋車両製の軸バネ式台車。

木造単車ハ1  


奥に雨宮製作所昭5年製の半鋼製2軸単車ハ2が。

モハ21、クハ10、モハ51 が並ぶ
元国鉄キハ41000を制御車に改造(西武所沢工場製)したクハ10が中々魅力的である。

参考文献: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第2分冊

2010年11月22日月曜日

蒲原鉄道 五泉~村松

蒲原鉄道を訪問したのは1968(S43)年8月のお盆休みであった。
新津から磐越西線に乗って15分程の五泉から信越本線の加茂まで走っていた。
丁度お盆のシーズンで、この日はどこも家族連れの乗客が多かった。
五泉の小さなホームで待ち受けていた電車は元西武の17m級3扉車で何とも平凡な電車であった。
東京でも撮れるような電車を、何でわざわざこんな地方まで撮りに来たのかと思ったものである。
お目当てのいかにも蒲原らしい2扉車は、この頃はもう動いていないようだった。

磐越西線からの乗換客を待ち受けるモハ71       五泉 1968.8.17

蒲原鉄道は五泉から村松までの区間が主力で、この間は頻繁に走っていたが村松から先は本数が半減であった。村松までは田圃ばかりで平凡だが、ハザ木がいかにも新潟らしい風景であった。
五泉~村松間を往復するモハ71