案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年9月30日木曜日

沼尻鉄道 木地小屋

会津下館で乗った列車は会津樋ノ口を過ぎ、山間を暫く行くと木地小屋に到着する。
木地小屋は駅というより停車場と言った方がよく似合う。駅舎の周りにある小さな集落以外、周辺には何もない荒涼とした平地である。列車の交換ができる線路配置だが他と同様にホームもなく駅らしきものはない。1月の寒さもあり何となく開拓地というイメージがしたものだった。ここから4Kmほど進むと終点沼尻に到着する。


午後の川桁行き上り列車

2003年に沼尻鉄道の廃線跡をたどってみたが、木地小屋の前後の区間は整備事業により軌道跡と判るものは消滅していた。停車場があった位置は正確には確認できなかったが、バス停の木地小屋でこの辺りに停車場があったことだけは判った。
バス停「木地小屋」   2003.11.22

2010年9月29日水曜日

沼尻鉄道 会津下館

前回は樋ノ口から上り列車でしたが、次は下り列車です。

会津下館駅の朝の下りは、沼尻に向かうスキー客で満員であった。始発川桁だけでなく途中の停留場からも地元のスキーヤーが乗り込んできて、小さな客車3両はすし詰め状態で沼尻へ向かった。


会津下館駅の駅舎

トイレで有名な会津下館駅の跡地    2003.11.22

次の荻窪に停車。光り輝く磐梯山を背景に列車を牽くDC122。荻窪

光り輝く磐梯山   内野 - 会津下館

2010年9月28日火曜日

沼尻鉄道 白木城停留場

会津樋ノ口を出た客車5両編成の列車は、次の白木城停留場に到着する。
会津樋ノ口で増結されたボギー客車に更に正月客が乗り込む。こうして一駅ごとにお客を乗せて列車は白津、川桁へと向かう。お客は家族連れが多いようで、新年の挨拶回りなのだろう。

白木城停留場    1964.1.2

川桁へ向かい右へカーブすると白木城に到着する。

山に向かい左へカーブする手前のこの辺りに白木城があった。  2003.11.22

2010年9月27日月曜日

沼尻鉄道 会津樋ノ口

沼尻を昼過ぎに出発した川桁行き客車4両の列車は、正月の客で超満員となり会津樋ノ口駅で客車1両を増結した。小さな客車の定員は単車で20名、ボギー車で40名で、4両合計しても140名と20m級電車1両分でしかない。

最後尾に客車1両を増結しているところ。 会津樋ノ口駅  1964.1.2

小さな単車サハ8(定員20名)の車内は満杯であった。

ボギー客車シボフ3を駅員と地元の子供達?が押して増結作業を

単車サハ8の後にシボフ3が増結され5両編成となった。

2010年9月26日日曜日

沼尻鉄道 白津停留場

沼尻で素晴らしいロケーションの一つに白津停留場がある。
停留場は白津の集落の中にあり、駅らしいところはなく道路端のバス停みたいである。停留場の前後がドロ軌道で、会津独特の造りの集落の中を行くドロ軌道の光景は堪らない魅力を感じさせてくれる。

道路端に軌道があり、白津で道路はS字に曲がり軌道を横切っている。陽が差してくると道路も軌道も泥だらけとなるが、正月朝のドロ軌道の泥んこは凍っていた。
白津停留場   1964.1.2

木造のバス停のような待合場。内部の時刻表は剥がされていた。
白津停留場

時刻表は隣の内野のもので、列車は上下各7本程度/日あった。

集落の中に溶け込んだドロ軌道。左へカーブすると写真下の直線部が続く。
白津 - 内野

軌道と道路の境はなく、枕木の道路側は土に埋もれている。
しばらく走ると集落を抜け、左手に磐梯山の雄大な景色が拡がる。白津-内野
上の写真の廃線後 2003.11.22

白津停留場のS字カーブ道路上に停車した上り列車

2010年9月24日金曜日

常磐線 仙台から四ツ倉へ

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朝一にまずは仙台機関区から。  C5990  1963.9.29

四ツ倉を訪ねた日(1963年9月29日)の国鉄蒸機のネガを掘り起こしてみました。
仙台機関区と周辺で東北本線の様々な蒸機を存分撮ってから、
常磐線上りC629の列車に乗り、四ツ倉に向う途中の画像をアップしてみました。
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交換駅で出会った下りC628  1963.9.29

常磐線上り列車を牽く C629





2010年9月23日木曜日

常磐線 平

四ツ倉を訪問した昭和38年は、常磐線の高萩 - 平間が電化され、更に一つ先の草野まで工事が進んでいた。平駅の構内は架線だらけとなり、刻々と迫る常磐線の電化が北へ北へと押し寄せていた。草野の先の四ツ倉からは障害物のないスッキリした非電化区間で、まだ蒸機時代であった。

平駅には沢山の魅力的な蒸機が            クリックでポップアップします
平  1963.9.29

架線のない区間で、C62の交換風景は大陸的な感じがした

気動車特急はつかり。四ツ倉から北は架線なくすっきりした光景に。


磐越東線のD60が牽く旅客列車       平 1963.9.29 

2010年9月22日水曜日

四ツ倉の古典SL

1963年9月29日撮影のネガを見ると、仙台で国鉄SLを撮ってから、常磐線のC62に乗り四ツ倉へ向かい古典SLを撮影している。英国ナスミス・ウィルソン社製の美しい600形が煙を上げて入替え作業の真っ最中であった。
5月5日にアップした画像は差替えました。

入替え作業をしている人の服装が変わっている。  1963.9.29

常磐線四ツ倉駅の脇で働いていた古典SL    1963.9.29


背後は常磐線四ツ倉駅


英国ナスミス・ウィルソン社製600形

2010年9月21日火曜日

倉敷市交通局

1970年に設立された水島臨海鉄道の前身は、この倉敷市交通局であった。
当時、旅客は元国鉄のキハ305が水島~倉敷市間を往復していて、地味で話題もない鉄道であった。交通公社の時刻表に出ていたのを頼りに訪ね、水島駅から倉敷市まで乗ってみた。

午前11時 ひと気のない水島駅。 表示板を見ると次の列車は11時50分までない。   1962.7.30

水島駅で発車を待つ倉敷市行のキハ305


キハ305 地方私鉄でよく見られた荷台付気動車

キハ305の運転室

水島駅の側線にはオハ31系が4両もいた

ホフ301    サボは水島⇔倉敷と表示

倉敷市駅

2010年9月19日日曜日

井笠鉄道 井原駅

赤いホジ2に揺られてたどり着いた終点井原(いばら)は、国産ジーンズの代表的な生産地。駅の周りはこの地方独特の白壁に黒瓦の家屋が多く、背後には山並みが迫っていた。
1971年に井笠鉄道が廃止され、1999年に開業した井原鉄道はJR伯備線総社とJR福塩線の神辺を結ぶ第3セクター鉄道で、井笠鉄道の終着駅であった神辺、井原、矢掛など旧山陽道に沿って走っている。井原駅は生まれ変わり、昔の光景もすっかり変貌してしまったことであろう。

井原駅の広々した構内にはホームが1本あり、笠岡行きと神辺行きが発着していた。周辺には貨物駅ホームや車庫2棟があり、ボギー客車や小さな気動車ホジ12やジ15が休んでいた。軽便しては大規模な駅であった。
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井原駅の全景    1962.7.30

大きな車庫 隣にはバスの車庫がある

四輪大型単車 ジ16


オープンデッキの美しいホハ8

ホジ12


神辺線ホジ7と井笠線(本線)ホジ102

貨物ホーム  何故か木箱入りビールの輸送が多かった?

くじ場で見た混合列車による貨物輸送