案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月27日月曜日

尾小屋鉄道 寒村の朝

川沿いにある1つ目のトンネルを抜けた倉谷口で降り、
この先にある尾小屋寄りの2つ目のトンネルのところを狙った。
線路の横は崖っぷちで、反対側は山が迫っている。
霜で真っ白になった枯れ草の上で、先ほど乗って来たキハ1が戻って来るのを待つと、
デッキの大きいダブルルーフの客車ホハフ1を牽いてやってきた。


倉谷口 - 長原  1964.12.30

朝もだいぶ経っているに一向に日が差さず、遠くの木立だけが明るく輝いていた。日陰の山間には集落があり一面が霜で真っ白であった。やがてやって来た列車は渓流の木橋を渡り長原の駅に進入した。

明日は大晦日。寒村の朝は一面の霜。長原  
シャッターを押す手がしびれる。 終点の尾小屋まであと一駅。


長原を過ぎると、遠くに見える尾小屋方面は明るい日が差していた。 長原

4 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

尾小屋には何回か行きましたが、katuさんとは、学生のころ最初の1回だけでしたね。
似たような写真もあるので、ひょっとしたら
まだ他にも…。いずれにしても尾小屋の風景と軽便の風情がよく出ていますね。
鉱山鉄道の面影を残す尾小屋や沼尻は町から山裾を抜け、山の中に。これ、軽便のだいご味ですね。よくぞ、醍醐味を出してくれています。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さんとは尾小屋を3回訪問しています。
1962年に訪問した頃は、尾小屋の車両は落着いた渋い配色が魅力的だったのですが、次第に派手になって行きましたね。初回訪問から15年後の1977年までよく生き延びたものです。

匿名 さんのコメント...

吉竹から新小松の間は田圃の中の一直線で単調なためか写真が極めて少ないのです。数年前、尾小屋から小松まで歩きましたが、その時、何もない一本道を歩きながら「早く小松に着かないかな」と苛立った記憶があります。
 素晴らしいですね・・・!、

katsu さんのコメント...

北陸の匿名さん、
京福や北陸めぐりで数多くのコメントをありがとうございます。
尾小屋の新小松~吉竹間は一面の田圃で、確かに魅力のない区間でした。それを救ってくれたのは素晴らしい快晴でした。
今ではこの一帯も家が多くなり一変したでしょうが、今も変わらないのは美しい白銀の山並みと思います。