案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月26日日曜日

尾小屋鉄道 朝の列車

前日に北陸本線の動橋から赤い電機に牽かれ2つ目の小松にやってきた。
国鉄の車窓から見えた尾小屋鉄道の車庫にはSL5号機が外に出ていた。
小松で今夜の宿を決める前に5号機に対面、雪さえ降ればいつでも出動できる態勢のようであった。
しかしこの年の北陸の平地に雪はなかった。

尾小屋鉄道新小松駅の踏切脇に古そうな安宿を見つけ、素泊まりに決めた。
外で夕食をとり宿に戻ると、沼尻の駅前旅館と同様にコタツの周りに4人の布団が敷いてあり、
心地よい足の暖かさと今日の疲れで直ぐに深い眠りについた。

翌12月30日、朝一番に乗るため5時半に起き、新小松駅に駆けつけた。
朝食も昼食も食料の持合せなく飛び出したが、尾小屋の沿線には食べるような店はなく、自動販売機もない。水分補給は駅や民家でなんとかなるが、食事は食べる時間さえなくこの日は夕食まで何も食べなかった。
朝1番が出る時間になっても、駅員はまだ寝ているのか切符も売ってなかった。
やがて、日の出前の暗い新小松駅を我々が乗ったキハ2の1番列車が発車した。
3つ目の遊園地前で下車し、三日月が浮かぶ星空の下、暗闇を歩き撮影ポイントを探した。
北陸の冬の日の出はえらい遅く、7時過ぎにようやく東の空が赤くなる頃、上り1番列車キハ1がやってきた。更に大杉谷の近くの鉄橋で、上り2番列車を狙う。
こうして終点尾小屋に次第に近づいて行った。



夕方暗くなる頃、下り列車が発車を待つ。新小松 1964.12.29
翌朝の朝一にこのキハ2の列車に乗った。


うす暗い夕方、下り列車が発車していく。  新小松 1964.12.29

翌朝の上り2番列車。通勤列車なのか客車を5両も牽いていた。大杉谷の鉄橋 1964.12.30
この客車5両の大編成はこの時間だけで、朝の冷え切った中を待った甲斐があった。

冷え切った観音下の駅。鉱石運搬索道が見える。 1964.12.30

観音下を行くキハ2+ハフ1。     後方に鉱石運搬索道の防護柵が見える。 1964.12.30
尾小屋に近づくにつれ枯れ草が次第に白くなり、底冷えがしてきた。

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