案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年7月19日月曜日

淡路交通5  洲本

1965(昭40)年8月2日
和歌山の深日港と船が行き来する島の中心部洲本。この日はちょうど島まつりで、夕方の街は盆踊りのおはやしで賑やかであった。
洲本駅近くで泊まった旅館は、一泊二食付とはいえ、夕食は大衆食堂からの出前、風呂は隣の銭湯、部屋はうす暗い裸電球一つ、と素泊まり同然の格安旅館であった。それでも夜行列車や駅で寝るよりはずっと贅沢であった。
翌朝、「電車バスのりば」が表示された洲本観光会館の奥に向かうと、殺風景なホームに電車が二本停車していた。
洲本駅を出た電車は、淡路の蝉のやたらうるさい合唱を聞きながら紡績工場の脇を走ると、洲本川の鉄橋に出る。今回の島の電車撮影では、沿線の未舗装道路のホコリとハメ(マムシ)の恐怖で、ついに俯瞰写真は撮ることはできなかった。

洲本の街と洲本港  1965年8月


「電車バスのりば」の看板を掲げた建物に洲本駅があった。

朝の洲本駅 隣のホームには珍品モハ2007の準急が。

紡績工場の脇を走る

洲本へ向かう朝の通勤電車

道路の埃で白くなった草木の中を行く。
淡路島は「えくぼ道」だらけ

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めてみる写真ばかりで驚きの連続です。
元南海電鉄の電車も懐かしい。もっとも
南海電鉄に入ったことはありませんがね。
洲本の町並みもよく読みとれます。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん。
45年前に数枚焼いた以外はネガのままで、
私も始めて見るものばかりです。
淡路訪問の日記に克明な記録があり、
当時のことがいろいろ思い出せました。

t7marimo さんのコメント...

「ハメ(マムシ)の恐怖」と淡路交通の話は、当時katsuさんのおみやげ話の中で、強烈な印象として頭の中に残っていて、瞬間的に思い出しました。 でも淡路交通としては先進的な改造をいろいろやっていたのですね。

katsu さんのコメント...

t7marimoさん。
お久しぶりです。
淡路交通はレールが繋がっていない島という土地がらのせいで、先進的で自前主義だったのでしょうか。

カルダンの件で、何も知らない私が撮った下回り写真は、同行したその道の大家 I さんの教えです。
45年後に始めて見る写真を付け合わせて、やっと各車の駆動の違いが理解できました。
いや~淡路は風土だけでなくハード面でも大変に興味深い鉄道です。

匿名 さんのコメント...

あ~Iさんと言ったのですか。彼は台車にかけてよく調べていましたね。このころはピクトリアルにY氏が台車シリーズを掲載していました。工学系でない小生も台車の写真は撮りましたがあまり興味がありませんでしたが
台車一つでもその時代の技術の推移に感じ璃ものがあります。
t7marimo 久しぶりの投稿で、ホットしました。青蛙